民衆の遊技、サッカー
禁止令がしばしば発布された以外にも、フットボールに対する厳しい批判の言葉が表明されることがよくありました。
たとえば、ヘンリー6世の時代(1422~61年)に、ある修道士がイングランド中部の州ノッティンガムシアの町コーントンでのフットボールについて次のように書いています。
『・・・彼らが気晴らしのために集まって行なった遊技のことをフットボールと呼ぶ人たちもいる。
これは田舎の娯楽であって、若者たちが大きなボールを空中に投げ上げるのではなく、地面の上で打ったり転がしたりしながら進めていく、それも、手ではなく足を使って進めていく遊技なのである。
これはじつに忌まわしい遊技と言わねばならない。
この遊技は、終了時にはほとんどいつも何らかの損失や事故や競技者自身の損害が付随しており、少なくとも私が判断するところでは、他のどんな遊技よりも粗野で下品で無価値なのである。』
・・・このようなフットボールの粗暴さに対する批判は珍しいものではなく、これと同じような批判は、社会的に高い地位にある人びとによってしばしば表明されたのです。
しかし、中世添ら近代にかけて、どれほど批判されようとも、またどれほど禁止されようとも、フットボールは民衆のあいだに深く根ざし、民衆から強く支持された、民衆の遊技でした。
そうしてやがておしゃれなサッカーユニフォームが出来上がり、民衆の中でのサッカー人気はますます高まっていくこととなるのです。